【読書談義】うしろめたさの人類学を読んで

    Becco.です。

    今回は松村圭一郎さんの著書『うしろめたさの人類学』(2017)を読んだ感想と解説をして生きたいと思います。

    うしろめたさの人類学(2017)

    どんな本?

    著者である松村さんが20年以上関わり続けているエチオピアでのエピソードを元に、この世界を成り立たせている国家、市場経済、社会、人間関係を文化人類学的なアプローチで解説している本です。人類学を全く学んだことがなくてもとてもわかりやすく書かれていて読んでいて面白かったです。

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    こんな人にオススメ!

    うしろめたさの人類学は以下の人にオススメです。

    • 世の中にモヤモヤを感じる〜
    • 世の中の仕組みについて興味がある。
    • 異文化(今回はエチオピア)のことを知りたい。

    日々日本で生きていて、なんかスッキリせずもやもやとした感情を抱いている方。世の中の仕組み、とりわけ国家、経済や社会、人間関係についての簡単な見取り図を知りたいという方。エチオピアの社会を覗いてみたいという方。ぜひお手にとって読んでみてください。中高生にとってもわかりやすく、大人が読んでも為になる教養書だと思います。

    イントロダクション

    全てを解説することはできませんので、基本的な情報を三つのQ&Aで答えていきたいと思います。

    1. 世の中のおかしさ?
      自分、もしくは他者の人柄や性格を作り上げているのは何かと問われたらなんと答えるだろうか?それは己の「こころ」だろうか。もしかしたらそれだけではないかもしれない。ある人の内面の正常、異常はその周りの人間の向き合い方、姿勢が深く関わっているのではないか?日本では精神を病んだ人は、多くの人の日常から切り離され家族や病院、施設に押し付けられる。仮にそういう人にあったとしても「みなかった/いなかった」ことにしている。エチオピアの田舎では、精神を病んだ人が収容される医療施設がないので、そうした人が「ふつうに」生きている。町の人はそういう人のことをよくわかっていて、ちゃんと関わりながら暮らしているという。日本ではどうだろうか?電車の中で不可思議な往復を繰り返している人にあったとしても、そういう人はあたかもいないものとされている。それは同乗した多くの人が「関わらない」という選択をしたことによって、その現実が作り出されている。私たちは他者と関わらないことによって「ふつう」の世界に暮らしているのである。
    2. 構築人類学とは?
      この本はいわゆる構築人類学と呼ばれるジャンルの本になります。人類学の基本手法は「フィールドワーク」をすることです。このフィールドワークからもたらされた知見によって他の社会や文化を比較し、その差異を発見してきました。そうするとどの文化や社会も特権的でもなければ当たり前でもないこと(ズレ)がわかります。構築人類学では、一見別々のものと思われがちな市場、社会や国家に関して、こうした差異を参考にしながら別の組み合わせ、違う線の引き方の可能性を探していきます。
    3. うしろめたさって何?どうしていけばいいのか?
      「うしろめたさ」の辞書的な意味は「自分にやましいことがある」です。この本の中で自分にやましいことがあると感じさせるのは日本とエチオピアの間にある「格差」です。こうした国家間の大きな差だけでなく、日々の生活の中にそれはあります。電車の中で席に座る若者とその前に立つ老人の構図などがそれに当たります。それは全員が座れない仕組みが悪いとその「制度」を批判することもできますが、「制度」に頼りすぎるのにも限界があります。では、どうしたら良いのか?この本では2つのことが挙げられています。一つは、知らないうちに目を背け、いろんな理由をつけて不均衡を正当化していることに自覚的になること。もう一つは、私たちの中にある「うしろめたさ」を起動しやすい状態にしておくこと。こうしたうしろめたさは目をそらしがちな現実に揺さぶりをかけ、世の中の公平さを求める心を起動させていくのです。

    個人的に心に残っている部分

    私がこの本を読んで個人的に心に残っていることは、第1章(経済)と第2章に(感情)に渡って扱われている「感情」に関する話です。みなさんは贈り物と商品の違いをどのように考えますか?何か相手に贈り物をするときには買った商品の値札を剥がし、包装をしてリボンをつけたりして「贈り物らしさ」を演出したりしますよね。そうすることで「商品らしさ」をなくすようにします。なぜそういう風にする必要があるのか?それは私たちは「商品=経済」「贈り物=非経済」を区別するべきだというきまりに忠実だからです。なぜこの決まりに忠実なのか?それはこの決まりを通して、この二種類のやりとりのうち一方では感情を付け加え、もう一方では感情を差し引いています。贈り物には値札をとったり、包装したりして「思い」を込めている。一方、経済的な「商品の交換」では、そういう「思い」をなかったことにしているのです。わかりやすい例に「マクドナルドの店員のスマイル」があります。あれは誰かへの好意を示すものではありません。営業スマイルというやつです。このようにして私たちは経済と非経済を区別しています。
    エチオピアには「物乞い」がたくさんいるそうです。日本では滅多に出会いません。もし旅行先で物乞いに遭遇したらどうするでしょうか?おそらく多くの人は「何もあげない」という選択をするのではないでしょうか?慣れている方であれば、何か持ち物(お菓子など)を準備している方もおられるかもしれません。しかし、そうした方に「お金」を渡すのはどうでしょうか?私にはためらいがあります。ここで感じるためらいは私たちが先ほどの「経済/非経済」のルールに忠実であるということと深く関係があるようです。特別な演出のされていない(祝儀など)お金のやりとりは経済の領域にあるため、そこに発生する感情はなかったことにされてしまいます。何か物を渡す場合には贈り物でなくてはなりません。しかし、旅行者には渡せるものは限られていますし、だからと言ってお金を渡すわけにもいかない。ためらいの裏にはこういう心理が働いているのです。エチオピアの方は、こういう物乞いの方にためらいなくお金を渡す場合があるそうです。これは義務とか宗教的な従いではなく、私たちよりほんの少し物乞いに遭遇した時に沸き起こる感情に素直に従っているのだと言います。全てを書けないので、さらに詳しく読みたいという方はぜひ本を手に取っていただきたいと思いますが、自分がいかに経済脳に染まっているかということを突きつけられた気分になりました。

    最後に

    いかがでしたでしょうか?

    もし面白そうだなと思ったらぜひ手にとってみてください!

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