茶柱は何を比喩しているのか?サカナクション、ニューアルバム「834.194」収録曲。

     

    サカナクションの新アルバム「834.194」に収録されている曲、茶柱

     

    ピアノとボーカルだけの非常にシンプルな曲です。(所々でせみの鳴き声)

     

    シンプルであるがゆえに伝えたいことは歌詞の中に眠っているのではないか。そう思い少し調べてみました。

     

     

    茶柱って何?

    そもそも茶柱ってなんでしょうか?

    茶柱とは緑茶を湯飲みに淹れたときに一緒に入ることがあるお茶の茎の部分のことを言います。

    高級なお茶の場合はいい茶葉だけを使用しているため、茎が混入していることはほとんどありません。そのため、お茶の茎の部分が混入するのは安いお茶の場合ということになります。

    よく「茶柱が立つ」と縁起がいいと言われます(下画像)。

     

    これは、茶柱が立つという現象が非常に珍しいことからそう言われているようです。茶柱が立つためには、茶漉しから茎が抜けなければなりませんし、抜けた茎がさらに立たなければなりません。非常に珍しい現象であると言えます。

    では実際に歌詞を見てみましょう。

     

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    歌詞

     

    茶柱
    作詞・作曲  山口一郎

    揺れてる茶柱
    なんとなく

    見つめて咳した
    ひとりごと

    子供の頃なら
    ただ泣いてごまかせたのに

    ずっと剥がせずにいた心の瘡蓋
    ゆっくりとふやけて
    いつの間にか
    消えてくれたら

    揺れてる茶柱
    何もいらないはずなのに

    静かな言葉が
    なんとなく

    伝わる気がした
    暑い夜

    重なる火花が
    煙の中で揺れていた

    ずっと変わらないと信じてた心は
    ゆっくりと擦れては重ね塗り
    傷は消えても

    揺れてる茶柱
    何もいらないはずなのに

    君の夢も見たくないのに

     

    もちろんお茶そのものを歌っているわけではなく、お茶を比喩にできないかと考えていたようです。

     

    歌詞解釈

    皆さんはこの歌詞を見てどう感じたでしょうか。または楽曲を聴いた方はどのように感じたでしょうか。

    私は、茶柱というワードと、曲の中で使用されている蝉の鳴き声から夏の暑い日、時間帯は昼、場所は畳の部屋(祖父母の家)が頭に浮かびました。

    山口さんは心情や風景について歌詞にすることが多いです。今回の茶柱では心情を歌っているように感じます。

     

    ではどのような心情を歌っているのでしょうか。

     

    山口さん自身もインタビュー等でおっしゃっていますが、彼の詞には余白があります。

     

    例えば、最初の部分、

    揺れてる茶柱
    なんとなく

    見つめて咳した
    ひとりごと

    子供の頃なら
    ただ泣いてごまかせたのに

     

    おそらく、咳をするということはあまり体調がよくない状態であると思います。寝込んでいたのかもしれません。そこに誰かがお盆にのせたお茶を持ってきてくれたのでしょう。そのお茶を飲もうとしたら茶柱が混じっているのを発見し、なんとなく見つめています。見つめている間に何かを回想したのでしょうか。”子供の頃ならただ泣いてごまかせたのに”。もしかしたら風邪を引いたことでだれかに迷惑をかけてしまったのかもしれません。泣けば許される状況にないということは、子供や学生ではないのでしょう。山口さん自身のことかもしれません。(心情を歌っているので多分山口さんの話でしょう)。

    実際には何があったのか、具体的な出来事や感情は書かれていません。しかし、その間には上で述べたような状況が浮かんでくるように感じます。

    そしてサビ⁉︎

    ずっと剥がせずにいた心の瘡蓋
    ゆっくりとふやけて
    いつの間にか
    消えてくれたら

    揺れてる茶柱
    何もいらないはずなのに

     

    正直にいうとどこまでがサビでどこからが二番なのかよく分かりませんでした。

    ここではどうでしょうか。心の瘡蓋ってなんだろう?瘡蓋なので何か覆いかぶさっているイメージですかね。覆いかぶさっているせいで、何かうまくいかないことがあるのかもしれません。消えてくれたらということは消えて欲しいと願っているということです。しかし、瘡蓋は無理やり剥がしたら痛いですよね。だから剥がせずにいてゆっくりと消えて欲しいと願っているのだと思います。

     

    では次のシーンではどうなっていくのでしょうか。

     

    静かな言葉が
    なんとなく

    伝わる気がした
    暑い夜

    重なる火花が
    煙の中で揺れていた

     

    伝わる気がしたとあるので、一番では自身の回想でしたが、だれか対話相手がいるような感じです。何かを伝えようとしてどのように伝えるか悩んだ末、静かな言葉を選んだと読み取れます。この静かな言葉は、静けさを連想させる言葉の性質を表しているのか、それとも静かなテンションでそれを伝えようとしているのか、僕は前者のような気がします。

     

    最後の重なる火花が煙の中で揺れていたは何を表しているのでしょう。

    部屋の中で煙や火花が出る状態⁈ タバコですかね。それか仏壇の線香とか。とすると伝えたい相手はもしかしたら故人かもしれませんね。この暑い夜という表現が夏をイメージさせるので、お盆の時期のことと思われます。

     

    では最後のパートを見ていきます。

     

    ずっと変わらないと信じてた心は
    ゆっくりと擦れては重ね塗り
    傷は消えても

    揺れてる茶柱
    何もいらないはずなのに

    君の夢も見たくないのに

     

    山口さんはよくリリースのたびに”変わらないまま変わる”ということをおっしゃっていたような気がします。また、今回のアルバム「834.194」のコンセプトは作為と無作為です。変わらないと思っていても、いろんなものに触れて行くうちにいつの間にか変わっていたという経験は誰にもあると思います。それはある時には自身のアイデンティティや存在意義にも直結することかもしれません。しかしそうしなければ成長していったり、生み出したりすることはできないのかもしれません。ゆっくり擦れては重ね塗りとは、そのようにして自分が消えていく感覚から生じる焦りと蓋をしようと抑制が働くことを指しているのかもしれません。

     

    そして最後の3行からは深い喪失感を感じます。失念や失恋から生じるものでしょうか。何もいらないのに、君はもう手に入らないのに望んでしまっている自分の存在を自覚してしまったのでしょうか。

     

     

    好き放題書いてしまいましたが、どうでしたでしょうか。このように歌詞解釈を書くのは野暮なような気もしますがお許しください。

     

    この曲は、山口さんの制作中の葛藤ともとれますし、アイデンティティの揺らぎみたいにも思えますし、好意の相手へ思いを馳せている歌にも思えます。シンプルながら色々な取り方のできる曲だと思いました。

     

    音楽の聴き方、解釈は自由なものですので、私のこの記事はその中の1つとして受け取ってもらえたら幸いです。

     

    あ、結局”茶柱”は何を比喩していたのでしょう。。。。

     

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